セネガルで"家族崩壊"した話と、その教訓
セネガルで"家族"的存在な人との付き合いを終えた話。途上国の田舎町でひとり生活していくのは簡単ではない。
セネガルに来た当初、僕には"家族"のような関係の人ができました。しかし、次第にその関係がストレスになってしまい、先日付き合いを終わらせることになりました。その理由は、
その家族が興味があったのは僕個人じゃなくて、僕のお金や持ち物だったから。
ことの顛末をまとめます。
任地に赴任直後に、近寄ってきたある家族
最初、任地の田舎町に赴任してきたときは、本当に不安でした。町のこともわからないし、知り合いだっていない状態から、生活を始めなければなりませんでした。そんなときに、優しげに近づいてきたのが斜め向かいに住む一家。
赴任した翌日の昼食に招いてくれました。翌日も食べに来るように言われ、やがてその家でお昼を食べるのが、日常となっていきました。知り合いのいなかった僕を優しく迎え入れてくれ、赴任当初の僕にはまるで天使に見えました。
そんなある日、冷凍庫で氷を作って持参するように空のボトルを渡されました。「氷を作って渡すくらいならいいかな」と思い、軽い気持ちで依頼を受けました。それが悲劇の始まりだとは知らずに。。
エスカレートする要求
一度向こうの要求にそたがってしまうと、こいつはいけると思われたのか、次第に要求の内容はエスカレートしていきました。氷を渡すだけでなく、砂糖やジュースをねだられるようになりました。
他に知り合いもいないし、お昼ごはんを食べさせてもらっている手前、むげに断ることもできず、かなりの頻度で買ってあげてました。
でも、本心は毎日のようにねだられる日々にうんざりしていました。買っていなかない日は怒られるし。
しまいには、「お前は家族なんだから家にお金を入れなさい」と言われ、僕の我慢も限界に達しました。都合のよいときだけ家族呼ばわりしてくるのは許しがたかった。
しかし、毎日家まで昼食を誘いに来るので断りきることもできず、ストレスをためながらも昼食に通う日々が続きました。
最後はけんか別れ
そんな関係も、ある日突然終わりを迎えました。ふとした出来事をきっかけに口論となったのです。悲しさよりも、もうこの家族と関わらなくて済むと思うくらいには、僕の心も疲れ切っていました。
他の近所の人からは仲直りするよう勧められましたが、断りました。僕にとっては、口論自体が問題でなく、それ以前に積み重なったストレスが問題で、それが解消しないことには、関係の修復は無理だと思ったからです。
そして、僕はそんなものはまったく望んでいませんでした。
相手が僕に望んでいたもの
今振り返って思うのは、
相手が興味があったのは僕自身ではなく、僕のお金た持ち物だったということです。
必死に日本のこととか話してたのがあほらしいです。最初に家に行った時から、どこかそんな雰囲気は感じていたんですが、任地で一人孤独だった僕は断る勇気を持てませんでした。その結果、ストレスをためてしまい大変な思いをしました。
自分の直感を信じればよかったと後悔。30年近く生きて培ってきた直観って結構当たりますからね。
青年海外協力隊にはよくある話
こういう話はこの家族に限ったものでなく、町であった人からもねだられることも多々あります。一時期、セネガル人不信になりかけてました。
生活に慣れてくると、余裕が出てかわせるようになるんですが、最初はそんなスキルもありませんでした。しかし、自分自身に関心を持ってくれる人が任地にも必ず見つかるので、そういう人たちと多くの時間を過ごすことが大切なんだと思います。
日本でもある話
そして、こういう関係って日本でも起こりえますよね。
- 車を出してくれるから遊びに誘う。
- おごってくれるから飲み会に誘う。
- 人脈がある人だから、付き合う。
これら全部、その人自身に興味はなくて、お金や持ち物に興味があるという点で本質は僕がセネガルで経験したことと同じだと思います。
こういう人たちからは、さっさと離れましょう。
そういうグループはあなたを悲しい気分にすることはあっても、幸せな気分にしてくれることはありませんから。以上、セネガルでつらい思いをして学んだ教訓でした。
うーん。外国人として海外の田舎町で生きるのって難しい。