会いに行けるセネガル

国際協力の夢を追いかけてセネガルに来た「元・意識高い系大学生」が、理想と現実の間で奮闘するブログ。

【悲報】青年海外協力隊に来ても人は変わらない件。

協力隊に来ても人は変わらないというお知らせ。

先日こんなツイートをしました。

協力隊関係者を中心に多くの同意をいただきました。隊次や派遣国は違えど、「協力隊に来ても人間の本質的な部分は変わらない。」という同じような感想を抱いている方も少なくないようです。

協力隊は自由だ

協力隊の活動ってボランティアなので自主性に任されている部分が多くあります。特に村落で活動するような隊員の場合、その形態はかなり自由です。 

  • 明確な業務時間があるわけではない。
  • 厳密な上司がいるわけではない。(配属先長はいるけど、人事評価などはない)
  • 達成ノルマがあるわけではない。(目標設定こそすれど、管理はされない)

それでいて、最低限生活するだけの生活費は黙っていても支給されるので、食うに困るなんて状況になることはありません。やるかやらないのかは自分次第です。このような環境なので自分で使い方を決められる時間も増えます。

僕の場合は、土日を挟んで村に泊まり込みで働きに行って、次の平日に家事をしてたりするなんてこともあります。口頭での週次報告と書面で月次レポートを提出することで、配属先からはこのような働き方を認めてもらっています。

自由になっても変わらない本質

任地への赴任当初こそ、新しいことを始めようと本を読んだり、ギターをしたりと今まであまりできなかったことにトライしたのですが、すぐにやめてしまいました。

今では、自由な時間が増えても、起きている多くの時間は、ブログでの発信も含めてセネガルのこと、活動のこと、つまり広義の仕事について考えています。 

これは会社員時代の生活の名残だと思います。もともと楽しい仕事なら長時間働くことも平気なタイプだったので、自分で企画して実行できる協力隊の活動は純粋に面白く、ついつい何かとアイデアを巡らせてしまうという。。

セネガルに来たら少しはゆっくりと働きたい」なんて思ってたのに皮肉です。

加えて、会社員時代だと、上司から早く帰るように促されたり、残業時間の制限等の外圧で長時間労働はある程度抑制されていました。しかし、任地には会う友達もいなければ、娯楽などの誘惑もないという状況です。

むしろ広義の意味では、仕事について考えている時間は増えています。

「協力隊に来たら変わる」そんな甘い話はない

この経験から、協力隊に来ると人間性変わるなんてことはないのだと思います。むしろ外圧がない分、より個性が肥大化した形で浮き彫りになります。

協力隊って暇でダラダラしてるんでしょ?って昔聞かれたことがあるのですが、そういう人がいるとすれば、それは因果関係が全くの逆。

隊員にだらけている人がいない訳ではないと思いますが、それは日本でもダラダラしてた人が隊員になってるだけのこと。もっとも、そんな人は書類や面接ではじかれているので、ごく少数だと信じたいですが。

セネガルでも、大多数の隊員はまじめに活動に取り組んでいますし、日本でも何かに打ち込んできた人は変わらず活動にも打ち込んでいます。良くも悪くも人間そんな簡単には変わらないということを感じます。

人が変わるとき

協力隊に来ても変われないという訳ではありません。ただし、そこには本人の変わりたいという強い決意と継続するための意志が必要です。

変わりたいと思って必死に行動を起こして、壁にもぶつかりながら進んでいく過程を経てこそ、人は変わることができるのだと思います。

有名なヒンズー教の教えを引用すると、

『心が変われば、態度が変わる。
態度が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、習慣が変わる。
習慣が変われば、人格が変わる。
人格が変われば、運命が変わる。
運命が変われば、人生が変わる』

出典:ヒンズー教の教え

人が変える道のりが簡単ではないことが示唆されています。もっとも、途上国では、心が変わるようなきっかけに巡り合う機会は日本より多いので、本人次第で変わることも可能だということは、付け加えておきたいです。

まとめ

いかがでしたか。「協力隊に来て二年間途上国に住めば勝手に成長する訳ではない」をテーマに書いてみました。

協力隊に来て変わりたいと思って来る人は、強い覚悟が必要です。反対に隊員になる前から何かに打ち込んできた人は、協力隊に来て遊びほうけることはないでしょう。