進学率の低さに驚いた、セネガルの村の教育事情。
日本国内での教育格差について、時折耳にします。でもそれ以上に、セネガルの教育格差も大きいです。活動先の村の教育事情と、思うことについて書きます。
日本の格差固定
親の年収が高いほど、子どもの学歴も高くなるという傾向があるようです。確かに高校の友人も大学の友人もお金持ちの家の子、多かったです。
周りを見てきて思うのは、遺伝的な部分よりも、塾にかける教育費の違いや、親の生活習慣の影響が大きいのではないかということ。
一概に格差が悪いとは言い切れないと思いますが、格差が固定されてしまった、チャンスのない社会は閉塞感が漂ってきて健全ではないというのが僕の考えです。
ただ、日本の高校への進学率は97%を超えているそうで、授業料の無償化など、最低限の教育は多くの人に行き届いている状況だと思います。
セネガルの教育事情
では、セネガルの教育事情はどうでしょうか。外務省の公表しているデータによると、
小学校:7歳~12歳(就学率:93.4%(そのうち58.98%が卒業)
中学校:13歳~16歳(就学率:小学校卒業児童の52.95%)
小学校を卒業できるのが約60%なので、10人に6人。中学校へ就学するのは、小学校を卒業した生徒の約半数なので、そのうちの3人。
つまり、10人のうち、中学校に通うのは3人ほどということ。セネガルでは、中学校までを義務教育と定めているにもかかわらず、これほどの人数しか卒業できていないのは驚きです。
ただし、これはセネガル全土のデータなので、都市部と村落部では事情は異なります。
肌感覚ですが、都市部の子どもは結構中学校には行ってるように感じます。
僕の活動している村の話
翻って、村落部での進学率はかなり低いと言わざるを得ません。ここでは僕にとって身近な、普段活動している村の話をします。
村の詳細はこちら
まず、村には学校がありません。なので、小学校に行くには1km離れた隣の村まで歩いて行く必要があります。多くの子が通いますが数年で行かなくなることが多いです。
背景には、子どもも家では、畑仕事や家畜の世話を手伝う立派な労働力という点があるように思います。また、村の大人たちも自分が教育を受けていないために、子どもへの教育熱はあまりないように見えます。
小学校を卒業できた子は中学校に行きます。しかし、中学校に行くには8km離れた近くの町に行く必要があります。歩いていくには遠く、親戚の家を間借りする必要があり、
ここで物理的な障害があり、ほとんどの子が教育を終えます。
中学校を卒業できた子は高校に行きますが、高校は15kmほど離れた町にあり、ここでは経済的な負担ものしかかります。
結局、村では高校まで進学するのは同世代で1人だそうです。割合的には10人に1人といったところでしょうか。
高校に行けない残りの9人
高校に進めなかった子どもたちはというと、家の仕事の手伝いをするか、若くして嫁に行くということがほとんどのようです。一部、労働者として都市部に出稼ぎに出るような人もいます。
勉強ができる1人だけが高等教育を受け、他の9人は嫁に出たり、家で仕事をする。これがセネガルの端の田舎町の現実です。
そうすると、9人の彼らは英語はもちろん、フランス語さえ話せません。お金の計算だってできないし、字も読めない人も少なくありません。
仕事を探すのも難しく、親の職業である、農業と畜産業に生涯従事していきます。ちなみに、高校に行った1人は大学を出て良い仕事に就くことを目指し、そこで得た収入を村自体に還元するような仕組みはあるようです。
教育の差が国力の差に
こうして、教育という観点で日本とセネガルを比べると、進学率に大きな格差があることがわかります。それが識字率や計算力といった形で労働力としての差になり、結局は国力の差につながっていくのだと思います。
セネガルの子どもたちが畑で仕事をしている間にも、日本の子どもは、英語やプログラミングを勉強したりしているわけですから。この現状が続けば、この先も途上国は途上国のままなのかもしれません。
「固定された格差と閉塞感」という僕の嫌悪するものが、より肥大化された形となり、セネガルでも目の前に現れ、自分の無力さを痛感しています。協力隊としてできることって本当に限られていて、変えられない大きな壁に立ち往生するばかり。