アフリカはつらいよ。

国際協力の夢を追いかけてアフリカに来た元・意識高い系大学生が、理想と現実の間で奮闘するブログ。

父に協力隊参加を打ち明けてわかった、親が子どもに求めるたったひとつのこと。

僕は、とても厳しい家庭で育ったと思います。
子どもの時は、父親が鬼のように怖かったです。

そんな僕が、初めてレールを外れ、父親に協力隊参加を打ち明けたときの話。

僕の誕生に立ち会えなかった父

僕は父親が単身赴任で海外にいるときに産まれました。
なので、父親は僕の誕生の瞬間には立ち会っていません。

その後も父親の単身赴任は続き、僕は赤ちゃんの頃のほとんどを
母親の実家で、父親なしに過ごしました。

そうこうしているうちに、父親は単身赴任を終え帰国し、僕には弟ができました。
父は弟の誕生にも立ち会い、赤ん坊から成長していく過程に立ち会っています。

弟のほうがかわいく見えたであろうことは、想像がつきます。
僕は子どもながらに、自分に愛情が注がれていないように感じていました。

「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」
この言葉が僕の幼心を何度となく締め付けたことかわかりません。
何をするにも弟が優先で、いつも僕は後回しでした。

そうして、僕は認められたいとの思いから「大人の望むように」振る舞う
子どもへと育っていきました。

とにかく厳しかった父

家では、とにかく厳しかったという思い出があります。
弟とけんかをすれば、理由を問わずに怒られるのはいつも僕でした。

小学校5年生になると、通っていた小学校に野球チームができるとのことで、
そこに弟ともに、初期メンバーに加わりました。
同時に、父もコーチとしてチームに加わりました。

野球も決して上手ではなかった僕は、週末の野球でも怒られてばかり。
家で厳しかった父が、週末のグラウンドでも厳しいという地獄のような日々でした。

ちなみに父が僕にだけ厳しかったというのは何も僕の思い込みというわけではなく、
当時の少年野球のチームのコーチからも同情されるほどでした。

「お前、大変やな。将来ぐれたらあかんぞ。」

と、声をかけてもらっていたことを今でも覚えています。

親に認められたい気持ちを勉強へ

そんな僕が唯一人より得意だったのが、学校での勉強でした。
記憶力もよかったし、聞いたことを理解するのも他の子どもより早かったです。

テストでいい点を取ってくれば、そのときだけは褒めてもらえる。
僕は両親からの愛情欲しさに勉強をしました。
ただただ、自分も弟と同じようにかわいがってもらいたかった。

このときの気持ちは非行に走る不良と大きな違いはない、と今では思います。
親や社会に認められたいという気持ちを、非行で晴らそうとするのか、
勉強を頑張ることで認めてもらおうとするのか。
表し方が違うだけで、その根源にある認められたい気持ちは遠くない気がします。

そうして、親に認められたいがためだけに勉強に励んだ僕は
いわゆる良い高校、良い大学へと進学していきました。

ちなみに僕は勉強が得意でしたが、高校受験、大学受験と2回も
人生の節目で第一志望には不合格で、受験に失敗しています。
どちらも合格確実の判定を直前の模試で手にしていながら。

僕が勝負弱かったのは「落ちたらどうしよう」という恐怖の気持ちが
人一倍強かったからではないかと、今になって思います。
「落ちても受け入れてもらえる」と思っていれば、楽に試験に臨めただろうに。

 良い大学から良い会社へ

良い大学に入って、良い会社に入る。
それが当然と思っていた僕は就職活動でもレールに乗っかります。

上京して、慶應を卒業するも、就職先は大阪が本社の安定企業を選びました。
自分の就職先くらい、自分で決めればよいものを、どこか親の気持ちに配慮し、
地元大阪のメーカーに決めました。

当時の僕は恥ずかしながら、まだ親の意向を気にしながら生きていました。
大学生にもなって、心は親離れができてなかったのかもしれません。

当時から協力隊に行きたい気持ちもありましたが、当時の僕にレールを
踏み外す勇気なんて到底ありませんでした。

順調だった会社員生活と青年海外協力隊への思い

仕事を始めてからのキャリアも順調そのものでした。
希望していた海外を担当する部署に配属となり、その中でも花形とされる
主力製品の欧米市場を一年目から担当することになりました。

二年目からは海外出張に行き始め、上司や仕事先からの評価も上場でした。
三年目では自分が担当した、欧州のプロジェクトが成功裏に終わり、
大きな達成感も味わうことができました。

このままのペースでいけば、将来的な出世の目もあったかもしれません。

でも、この生活で本当に良いのか、という気持ちは常にありました。
協力隊に行ってみたい気持ちは、就職してからも消えることはありませんでした。

青年海外協力隊に行きたかった人」で終わる人生が嫌だったし、
青年海外協力隊に行った人」で人生を終えたかった。

そうして、僕は青年海外協力隊に挑戦することを決意しました。

合格を親に告げるLINE

協力隊を受ける前も家族に相談することはありませんでした。
もし相談して反対されようものなら、結局あきらめてしまうかもしれないこと、
自分の弱さが出てしまうかもしれないことが不安でした。

合格後、僕は意を決して、家族に伝えることになります。
文字通り手を震わせながら、LINEの送信ボタンを押しました。
青年海外協力隊に合格して2年間、セネガルに行くことになりました」

父から帰ってきた返事はたった一言。
「あっぱれ。」

親が子どもに望むこと

どんな返事が来るかとおどおどしていましたが、
とりあえずは応援してくれている様子にほっとしました。
小言の一つは言われるだろうと思っていたので。

そうして、僕は自由に生きていいんだということをようやく知りました。

結局、親が子どもに一番望んでいるのは「幸せになること」であって、
「レールにしがみつく」ことではないんですよね。

ただ、そこに至るまでの、レールに乗るための学費を払ってくれ、
選択肢を広げてくれたことに関しては、両親にただただ感謝ですが。

親の期待に応えなくてもいいじゃないか

周りの友人を見ても、親の意向を気にしてるのは僕だけではないと思います。
転職をしようとしたが、親に反対されるので辞めた友人もいます。
「協力隊に行くと伝えたとき、親は何と言ったの?」と聞かれることもあります。

確かに、両親を大切にする気持ちを持つことは大切だと思います。
でも、親の意向を気にして生きるのはいつか終える時が来ます。
親だっていつか自分より先にいなくなるんですし。

それなら人生の早い段階で終えておくほうがよいのだと、今は思います。

これからの指針

教育の目的は、「自分で人生のかじ取りをできる人間を育てること」と、
昔どこかで読んだ記憶があります。

厳しかった父の思い出を、今回の件で、すべて昇華できたのかは正直わかりません。
ただ、「あっぱれ。」の一言が心を軽くしたことは紛れもなく事実です。

これからは、自分で自分の人生をかじ取りをして生きていきます。
ようやく独り立ちした僕の人生は、まだセネガルではじまったばかり。

アフリカはつらいよ。