会いに行けるセネガル

国際協力の夢を追いかけてセネガルに来た「元・意識高い系大学生」が、理想と現実の間で奮闘するブログ。

これぞ協力隊!電気のない村に泊まってみた

先日、普段から活動している、電気のない村に初めて泊まりました。日帰りではわからない村の生活が理解できたので、そのときの様子をまとめます。

村の生活

村の概要

宿泊した村は、僕の生活する町からバイクで40分ほど。ガンビアとの国境にほど近い、草原の中にぽつりと現れる、地図にも載っていない村です。

人口は100人ほどの小さな村で、農耕と牧畜を営む、プル族が生活しています。お店も学校も、少し離れた町に行かないとありません。村の外観はこんな感じ。

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村のお家

村のほとんどはわらぶきの家。侮るなかれ、このわらぶきのお家、意外に快適なんです。トタン屋根が昼間は熱を持ってしまうのに対して、わらの家は昼でも涼しい。

トタン屋根が隙間から雨漏りするのに対し、わらの家は雨漏りもしない。
こう見えても、うまく作られているんですね。

おうちの中はこんな感じ。

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村のごはん

クスクス(ヒエをひいたもの)がメインの食事です。朝は牛乳と、夜は落花生を原料としたスープといただきました。

セネガルの一般的な主食はお米ですが、自給率は国全体で40%ほど。この村でも米を栽培することはできていません。

なので、現金収入の少ない村落部では、自給可能なヒエが主食になっています。お米を食べている人が多い、町との違う部分のひとつですね。

ちなみに牛乳も家畜からしぼってるので自給です。無殺菌ですが、特におなかを壊すこともなくおいしくいただいてます。

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村のしごと

今の時期は、ヒエの種まきのお仕事をしています。播種機を馬に引っ張らせて、機械で種をまいていきます。
私もやってみましたが、後ろで播種機を支え続けるのもなかなかハード。そして、1条ずつの播種になるので、作業効率はかなり悪いです。

トラクタがあると、運転手1人ですいすいと作業できるんですけどね。村では、生産性の高くない仕事に1日の多くを費やしています。

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村のひと

町の人々よりも純粋で人懐っこい様子を感じました。外国人から何か金品を引き出してやる、というようなしたたかさはありません。援助の手がすでに多く入り、援助慣れしている人も少なくない、町との違いです。

もっとも、お金を使う場所がないだけにお金をねだっても仕方ないのですが。みんな本当に優しくていつも帰り際になると、
「もう帰るのか?もう一泊していきなよ。次はいつ来るの?」
と寂しそうに聞いてくれる様子が心にしみます。

あと、なぜか写真を撮られるのが好きみたいです。イスラム教徒の女性の写真は、町だとNGなことも多いのですが。久々に女性に寄られて、こっちが緊張してしまった。笑

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村の夜

電気がない代わりに各部屋に懐中電灯が置いてありました。十分な明るさで、部屋の中にいる分にはそこまで不自由しませんでした。

町と違うなと感じたのは就寝時間の早さ。
セネガル人は基本、遅寝で深夜まで道端でおしゃべりしていたりするのですが、この村では22時過ぎには消灯して、みな就寝していました。

そして、翌朝は日の出と同時に起きてきて、畑仕事をはじめます。昼間は暑すぎて仕事できませんからね。この生活リズムは日本の農家さんと近い部分があるのかも。

また、夜は子どもたちが空ボトルを太鼓代わりに、歓迎の歌?を披露してくれました。

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村に泊まって気づいたこと

大地に沈む夕日の美しさ

村に泊まってよかったことのひとつが、すごく綺麗な夕日を見れたこと。広大な草原に太陽が沈んでいく様子は壮観でした。

普段テレビで見るアフリカを自分の目で見ることができて素直に感動。人が作ったものに感動することもありますが、やはり自然の生み出す美に一番感動を覚えます。

こういうのを見たくてアフリカに来たんだよなあと感慨にふけっていました。日本ではじっと夕日を眺めることもあんまりなかったなあ。

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文明化と「生活」する力

自分たちで家畜を飼育する。作物を育て、食べて、家をつくる。自給自足に近い形で生活する村の生活を見ることができました。

「生活」という言葉は、もともと命をつなぎ、活動することを指しており、それが基本の意味だそうです。その観点から考えると、私たち現代人は「生活」する力を失ってしまったのかなあと。

確かに電子機器を使いこなし、計算ができ、外国語に習熟しています。企業で労働を提供し、賃金を得ることには長けているでしょう。しかし、「生活」する力では、村で暮らす彼らには遠く及びません。

どちらが優れているという話ではなく、全く違う世界もある。時間は有限なので、それをどう使うかで、何が得意かが決まるんですね。

文明化と「生活」する力の、トレードオフな関係を見た気がします。

落部へのボランティアの必要性

普段生活する町と、村の生活の違いを体感し、ボランティアが必要なのは、こうした村落部なんだということを再認識しました。町の人って、セネガルでも、実際そこまで困ってる人って少ないですからね。

村長が知る限りでは、僕がこの村に来る初めての外国人ボランティアだそう。そう言われると何だか責任を感じますが、自分のできることをお手伝いして、この村に少しでもポジティブな影響を与えられればと思います。

この村を変えるだなんて、大それたことを言うつもりはないけれど、村の子どもたちの将来が、少しでも明るいものになってほしい。今はそんな風に考えています。

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さいごに

電気のない村に泊まってみて、彼らの生活の様子がよくわかりました。こうして村に泊まったりしながら、住民の生活の奥深くに入り込んでいけるのが、青年海外協力隊の醍醐味なんだと思います。

国際協力に携わる人でも、なかなか村に泊まる機会はないでしょうから。これも何よりも、言葉もままならない、外国人の僕をこうして受け入れてくれる村の人たちのやさしさおかげですね。感謝の気持ちは、今後の活動を通じて返していきます!